「2016.7.27」
[2016.7.27]
こんにちは。最近は、「ハッ」とする様に目が覚めます。(*^^*)
この投稿は、実は4回目、本当に予想外の展開です、
「言葉」より、「心」の方が随分と伝えたがってしまっているので、又 ここへ来てしまっています😊
この「ページ」で、貴方は、貴方にとっての大切な「恋」の話、聴かせてくれました。
『夜中にひとりでにギターの弦が切れた日』、又は
『金曜日の花束の日』と素晴らしい表現を教えてくれましたが、私の思考を練ってみると、「それは、Islandの生まれた日」でしょうか。😊 実際に、ここ3年間で新しく生まれた「島」、ありましたね。
貴方の 「とりとめのない詩」の中のその表現も、多彩で何だか嬉しかったので、私にとってのその日も 描きたいと思います。
光のように その日が来てから、私は、気持的に、随分軽くなったんです。
「あなた」を、「曲」を、聴いたその日、
例えるとするなら、
誰でも、自分の痛みを誰かにも知っていて貰える、
分かって貰うことがあるというのは、なんだかその人に取っては、自分の「物」を、共に持ってくれるようで、
光のその日から、その人はあまり焦らなくなり、
心身共に 動き易くなるような気がしました。
又々、話は戻ります。
それは、女性だって、男性だって恋する"想力"、は先へ続いているのかもしれないとおっしゃっておりましたね、
それはきっと、自分の「意思」というよりは、「心の距離」なのですかね..(^^)
でもいざ、これをまとめる、書き上げるとなると、尋常でない程緊張してきます、何故なら、これは明るいお話ではないかもしれないから、でも、暗い話でもないかもしれません。
貴方は、もし「離れた」事がある、そして自分の「意思」と関係なく、「その人」を思い出してしまう、と言及していましたね。
もし、そこに「離れる」記憶があるのなら、絶えられない事ですよね。このような記憶を「思い出す」にも増して 「その時間」に「触れる」事すらできない。そんな体験をした方は、多いのかな。
そして、貴方の言った通りの記憶が、「離れる」行為が私の中に無いと言うと、嘘になります。
詳細は書きませんが、"好きだった人と離れた記憶"があり、
その後は、ふとした瞬間に、ある、「独りの時間」、
何の予告も前触れさえも無く、突然に「孤独の波」、「あの時間」が来る時もありました。
「あの時間」は、「まるで、当然の様に残されて、真暗で、私は、「当然の孤独」の時間にあって、又いつ再び電気のスイッチが付くのか、わからない。」 そんな、「あの時間」の中で、心の上で、最低でもあの場所へ入られるのは、最低でも貴方だけです。でも、そんな時間は年々減りました。今では、めったにないんです(^^*) ですが、調度一ヶ月くらい前に 偶々来ました。
同じ感じだったのですが、今度は、その理由を、考えてみました。すると、以前は、「孤独感」だけだったものが、その理由、あの時間の起こるmechanismを客観的に考え、錯誤する事で、「あの時間」の大事な意味が掴めてきた気がしました。そして、何だか今では 以前程恐怖は抱かず、
今度「来た」時は、「やぁ、又会えたね。今度は、こちらの時間を、充分に楽しんでね。」
と言ってあげようと思っています。正か、この出来事から調度一ヶ月後に、打ち明ける事になるなんて、思いもしない事でしたが、
心が言葉を超えてしまっていたので、もう、迷わずに打ち明けてしまいました。ありがとう
いつか、きっと、見られますよ。
ジグザグの道✌ Aone